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佐賀のよかもん
その土地ならではのものとの出会い、
佐賀の豊かな自然や歴史と伝統に
人々の熱い想いが作り上げた逸品。
今回は、中林梧竹の「書と画」です。
梧竹書芸
日本一の書道家を目指した
レバコール レバコール
レバコール レバコール

近代書道の祖
中林梧竹は、日下部鳴鶴、巌谷一六と並ぶ近代日本書家の一人で、書聖と謳われています。文政10年(1827年)、小城で生まれた梧竹は藩校興譲館に学び、小城鍋島藩9代藩主直堯公に認められて江戸へ遊学。書を山内香雪、市川米庵らに学び28歳で帰藩。その後、2度に渡って中国に行き、六朝書体や墨絵の技法を学び独自の書風を築きあげています。明治24年には明治天皇に王羲之の「十七帖の臨書」を献上。梧竹は、地位や名誉に執着せず、無欲で童心のような性格だったことから地元では「梧竹さん」と親しみを込めて呼ばれていました。

中林梧竹
西暦
年号
年齢
事           項
1827 文政10年 4月19日小城町新小路に中林経緯の長男として生まれる。
1841 天保12年 15 興譲館に入学する。
1845 弘化2年 19 山内香雪の弟子となる。
1878 明治11年 52 長崎の清国領事館の理事官の余元眉と出会う。
1882 明治15年 56 余元眉と共に清国に渡る。
1884 明治17年 58 清国から帰朝する。
副島種臣、松田正久、波多野敬直らの紹介で銀座の伊勢幸洋服店に住む。以来約30年間伊勢幸に居住した。
1891 明治24年 65 副島種臣のすすめにより、十七帖の臨書を明治天皇に献上し、白羽二重を贈られる。
1896 明治29年 70 銀座伊勢幸から小城へ帰る。
1897 明治30年 71 清国に渡る。帰国後再び伊勢幸に住む。
1898 明治31年 72 富士山頂に「鎮国之山」の銅碑を建てる。
1906 明治39年 80
小城に帰る。観音堂の建設を発願する。
1907 明治40年 81 皇后陛下から観音堂に、宝帳を贈られる。また、宮中女官12人から、和歌帖「三日月帖」を贈られる。
1908 明治41年 82 三日月村に観音堂、梧竹村荘が完成し、帰郷する。
1909 明治42年 83 皇后陛下より香筥を贈られる。7月北海道に滞在。
1913

大正2年

87 5月三日月村に帰る。
8月4日、午前2時逝去。
 

海外飛香
大きさ W×H(mm)
 (右)925×2170
 (左)925×2170
作品年代
  80歳代
仕 様
  軸装(二幅対)
原 文
 「海外飛香」
 「星巖公語」梧竹
読み下し文
  海外にかおりをとばす。
市重要文化財指定
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解 説  
17世紀半ば、鍋島藩の分藩として小城の地を初代藩主元茂公が統轄、その際、藩庭(今の桜岡公園)やその周辺に多数の桜の木を植樹した。
これを伝え聞いた当時の後西天皇(1637−1685)は、奇特で大変心温まることであると、自らその侍従たちと共に称賛の和歌を贈った。
この一連の歌を「海外飛香」と題して一冊の帖にまとめ、藩代々の宝物とされてきたもの。
廃藩置県とともに、梧竹は藩邸跡地の消滅を憂い、中央の各機関を奔走、「桜岡公園」(現在の小城公園)の誕生をみた。
この記念に公園最上部に御製歌碑、中段に侍従の歌碑2基、計3基を建立した。
快雨 座右戒 焚香坐對古師友
竹図 家常富貴 金衣公子呼友

アクセス 地図
開館時間 歴史資料館、梧竹記念館
平 日 午前9時〜午後5時
土・日・子供の日・文化の日
午前9時〜午後5時
図書館
平 日 午前10時〜午後6時
土・日・子供の日・文化の日
     午前10時〜午後5時
休館日 毎週月曜日
国民の祝日
(子供の日・文化の日を除く)
子供の日・文化の日の翌日
毎月第四木曜日(図書館のみ休館)
年末年始


写真の著作権・肖像権は、桜城館「梧竹記念館」に帰属します。
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取材協力
   
小城市「中林梧竹記念館」
佐賀県小城市小城町158番地4  TEL:0952-71-1132 FAX:0952-71-1146
URL http://www.town.ogi.saga.jp/ohjyoukan/gotiku/gotiku.htm